DV加害者がDVと自分に向き合うブログ

ある日突然DV加害者となったkuroが、DVと自分に向き合い感じたことを、当事者の立場から綴ります。

怒りの感情




元妻と娘が家を出てからちょうど1年がたちました。

この1年は自分自身と向き合い、様々な葛藤を消化し、さらにその中から様々なことを学ぶことが出来た1年でした。

そのお陰かどうかはわかりませんが、この1年、自分を抑えられなくなるほどの怒りの感情が沸くことは、一切ありませんでした。

しかし最近になって、ほんの些細なことから、この1年で経験することが無かった、自分でも驚くほどの怒りの感情が沸き上がった出来事があったので書いてみることにしました。

今回は、私がDV加害者と言われてしまった経緯なども含めて、怒りの感情について少しだけ書いてみることにしました。

書き進めるにつれて聞き慣れない用語など出て来るとは思いますが、それについては今後解説していけるようにしていこうと思います。





私が元妻に暴力を振るった理由



私は、元妻に暴力を振るっていました。

まず、大前提として、どんなことがあっても暴力は絶対に許される事じゃありません。

だから、私は元妻に酷いことをしたDV夫で間違いありません。

今では本当に後悔しています。

けれど、私も元妻に暴力を振るうのが快楽であったわけじゃありません。

では、なぜ私が元妻に暴力を振るってしまったのか。

その理由はとても複雑で、でも理解してしまえばとても簡単な理由でした。

この事は、今後の記事で詳しく書いていこうと思います。


そもそも、私が何かしらの問題を心の中に抱えていたからこんな事になったわけですが、私の元妻も、今思えばACなどの何かしらのトラウマを抱えていたのは間違いないと思います。

実際に元妻は、交際当時から日常生活においても、様々なトラブルや問題が多々発生していました。

私はそれに薄々気付いていながらも、「お前がだらしないからだ」「やる気が無いからそうなるんだ」といつも元妻を責めることで、私は彼女のためを思って指摘しているんだと、それが問題を起こした彼女に対する最善な方法であると思い込み、それを続けていました。

彼女もそれを肯定し、頑張ってしっかりする、と約束してくれていたこともあって、「俺は間違えていない、正しいんだ」と思い込んでいました。

今思えばそれが、お互いがお互いに依存をする、共依存状態にあった事を示す、何よりの証拠だったと思います。

しかしそれだけなら暴力になることはまずありません。

しかし、そんな元妻を責めたところで元妻は、「私の望む良い方向」に変化するわけも無く、むしろ退行の一途をたどるわけです。

私は私で様々な問題を抱えて大人になっており、(この事については機会があれば書こうと思います。)共依存状態にあった私達は、問題に気付くことなくその関係は続きます。

元妻の退行は止まること無く、むしろ加速していったので、私が元妻を責める頻度、態度はどんどんと多く厳しくなっていき、「コイツがこんなにヒドいんだから、俺だってこれくらい許されるだろう。」と自分自身や元妻に甘える感情から、ついに、手を上げたり、暴力的な行動に出るようになってしまっていた、と言うことです。





最近の私



私は3月から、自己の変化のためや、今後していきたい活動のためと言うこともあり、これまでの堅い仕事を辞め、心機一転新しい仕事を始めました。

最初の半年は契約社員ですから、これまでの仕事と比べれば社会的地位も収入も圧倒的に下がりますし、安定もしません。

けれどそれまでの仕事では様々な制約から出来なかった事も出来るようになりますし、安定していても先が見えてしまっている前職よりも、あえて不安定な環境に身を置くことで、これから自分が何処までやれるのか、将来が未知数な事にとてもワクワクします。

そして何より、本来私がしたかったことに近づけるかもしれない期待感が、この先の不安を大きく上回っています。

しかし、働いて収入を得ることは大変なことには変わりないので、前向きに楽しくやっているつもりでも、環境の変化や、自分で自分にかけるプレッシャーはあるんだと思います。

今思うと自分でも気づかないうちに感じるストレスはあったんだと思います。





突然湧き上がった怒りの感情



そうやって3月から新しい生活が始まったわけですが、新しい職場はオフィス街の中にあるので、当然電車通勤です。

これまで電車通勤をしたことが無かった私は、毎日片道1時間、満員電車に揺られるのがストレスになっていたのかもしれません。


ある日の仕事の帰り道の事です。
その日は仕事で思うような結果が出ず、私の中のネガティブな部分が少なからず顔を出している事を感じながら帰宅していました。

乗り換えるために電車を降りると、階段を登る人でホームが混み合っていました。

多少のストレスを感じながらぎゅうぎゅうの人の中を迷惑にならないよう歩幅を狭めて歩いていると、突然後ろからドンッと何かがぶつかってきた衝撃を感じました。

よろめくほどの衝撃ではありませんでしたが、かなり強めに当たられた印象を感じました。

驚いて振り返ると、飲んだ帰りであろう20代前半位の一見サーファー風の男が立っていました。

一瞬私と目が合った男は当然謝るものと思っていたら、何事も無かったように一緒に居た友人と会話を続けたのです。

しかもその友人に別れを告げた後、舌打ちをしながら私を追い抜き、階段を登り始めたのです。

今思えば私も彼を睨みつけてしまっていたのかもしれませんが、その時に沸き起こった怒りの感情は、自分でも驚くほど強く沸き上がってきて

『そいつを後ろから羽交い締めにして引き倒した上に、持っている傘を何度も突き刺してやろうか』

『このまま後ろから蹴り飛ばして線路に落としてやろうか』

当然、実際に行動に移すことはありませんでしたが、そんな事を考えている自分に戸惑いながらも、抑えきれなくなりそうな怒りの感情がどうにも収まらないことに恐怖を感じました。

それは正に、私が妻に暴力を振るってしまったときの感情と同じだと気付いたのは、何とか怒りを静めてからでした。






思い出す当時のこと


この1年間、一切顔を出さなかった感情が何故いきなり沸き上がったのかは分かりませんが、これまで、怒ることはあっても、暴力的な感情が湧き上がることはありませんでした。

湧き上がった怒りが静まった後、次に私の中に現れたのは、妻に暴力を振るっているときの生々しい記憶でした。

暴力的な感情が抑えきれずに、妻に向けてしまっているときの生々しい記憶。

思い出すその時の元妻の顔や、娘が泣く顔。

この時は自己嫌悪の気持ちが大きく膨れあがって気持ち悪くなってしまい、駅のホームに立っているのがやっとなほどに気分は落ち込んでいきました。

しかし過去のことを後悔しても何も変わりませんし、逆にそれが変化の妨げになることはわかっていたので、これまでは「出来るだけ後悔しないように前向きに」と心がけてきました。

ですから、まさか1年もたってから、暴力的な感情が湧き上がり、さらに当時の記憶がこんなにも鮮明に甦るものかと、衝撃を受けました。






やっと当時のことに向き合える?



私は、この1年の間に様々なことを学び、経験してきました。

だからといって劇的に変化できたとか、もう俺は治ったなんて事は言えない程度である事は十分承知しながらも、ここ最近は比較的穏やかに過ごせていた事で、自己と向き合うことを怠ってしまっているのではないかと感じていました。

変化することにはまず自己肯定感(この事についてはまた別に説明します)を身につける事が重要だったので、過去のことをくよくよと後悔しないで、前向きになる事を意識するあまり、もしかしたら当時のことと向き合わないように蓋をしていた側面もあったんじゃ無いかなと思いました。

あえて今、この感情がわき上がったことも、もしかしたら今になってやっと、当時のことに向き合うだめの心の準備、整理が出来て、しっかり向き合う時期が来たのかな、とも感じています。





怒りの感情も悪い事じゃない



なんだか上手くまとまらない文章をつらつらと書いてみたわけですが、これを読んで頂く方に間違えないで欲しいことは、自分自身の感情を大切に出来ない人は、人の感情も尊重して大切に扱うことが出来ないって事なんです。

今回、私の怒りの感情について書いてみましたが、これは決して怒りの感情そのものを否定して、駄目だ、と言ってるわけではありません。

自分が持つ喜怒哀楽の全ての感情を無下にする事無く、大切に思って愛しんであげられるようになることが、変化には必要なんだとおもいます。

だから私は、抑えきれなくなるような怒りの感情がわき上がったことに恐怖を感じながらも、それもまた今の自分の未熟さなんだと捉えて、これから変化していく課題にしていこうと思っています。

だからって自分の感情のままに振る舞って良いと言う訳では無いので、自身の感情全てを尊重した上で、その感情をどのように表現するかが大切なんです。

今回の件は、同じ事を繰り返さないよう、それを再確認させてくれる、とても大切な出来事だったんだと思いました。

これからも自分の感情を大切にして、その感情をどのようにして他者に伝えていくか、今後も怠ること無く学んで行き、自己の変化に繋げていきたいと思っています。