DV加害者がDVと自分に向き合うブログ

ある日突然DV加害者となったkuroが、DVと自分に向き合い感じたことを、当事者の立場から綴ります。

元妻の現状

 

 最近になって、娘と元妻の現状が少しわかるようになったので、それを受けて感じたことを書いてみようと思います。

 

 今回の件で、今私が唯一出来ることは、元妻の本当の回復をただ祈る事しかないんだなと再認識することが出来ました。

 

 私からすれば、一刻も早く娘に会えるようになって欲しいという願いはありますが、焦ることなく時期を伺っていこうと思います。

 

 

 

いつものごとく、ひょんな事から情報が入る

 

 毎度毎度よくもまぁと呆れるほどに、知るつもりも無いのに意図しない所から情報が入ります。

 

 でも、それが本当に本当に、有難い事なんです。

 

 前回、元妻からの電話があったときのように、こちらからアプローチをかけて連絡を取れるようにすると、元妻とその親族共々に、やはり余計な葛藤を与えてしまいます。

 

 その余計な葛藤を与えてしまうことで、元妻は更なる不安妄想を生み、心の回復を妨げてしまいます。

 

 今回のように、こちらからアプローチをしないで情報が入れば、私自身も余計な不安妄想を抱いて葛藤することもありませんし、元妻側も不安妄想を広げてしまうことはありません。

 

 そんな事で今回も、全く意図しない所から突然情報が入ることになったんですが、本当に有り難く思います。

 

 子の福祉に何が必要か、真の回復とは何なのか。

 

 そういった私の真意を少なからず認めてくれて、共感して下さる周囲の方々が居るからこそ、今回のように情報が入ります。

 

 本当に有り難いことです。

 

 いつかこの真意が元妻や元妻の親族に届けば、少しは現状が変わってくれるのではないかと思うのですが、現実はなかなか難しいものです。

 

 今回の件で、元妻は未だに葛藤が続いており、必要も無いのに逃げ回り、必要な支援は何一つなされていないと言う事がよくわかりました。

 

 

 

私を痛烈に批判している元妻

 

 批判内容まで表に出してしまうと本人特定に繋がる恐れがあるため、ここに出すことは控えようと思います。

 

 ですがその内容は、断片的に伝わるこちらの情報を、不安いっぱいの妄想で繋ぎ合わせて作った虚構を元に、痛烈に私を批判するものでした。

 

 私もその内容に、始めは落胆しましたが、それよりも何よりも、元妻は未だに私を責めなければ自己を保てない状況に追い込まれたままなんだと言うことがよくわかり、それを考えると心が痛くなりました。

 

 

 

未だ逃げ続けている元妻

 

  さらに、完全な分離が良しとされる現状の支援ですから、元妻は当然、こちらからのコンタクトを頑なに避けようとします。

 

 そうするとこちらの状況が伝わらず、元妻は私が追ってくるのでは無いかとの不安妄想から、逃げ続けることをしなければなりません。

 

 元妻は、私が住所を知っているとの情報を何処かで聞きつけたようで、シェルターを出て住み始めた場所から、半年もたたずにわざわざ転居して、携帯番号まで変えたそうです。

 

 こちら側の状況が適切に伝われば、その必要は無いと判断できるはずなのに、執拗に不安を煽られて、元妻は未だに私から逃げ続けなければならない支援の形が、疑問で仕方ありません。

 

 

 

元妻の回復を願う

 

 今回の件で、元妻は未だ被害者のまま、私を批判することでしか自己を保てないで居ることがわかりました。

 

 さらに、不可能な事であるにもかかわらず、完全な分離をしようとするあまり、元妻はこちらの状況を適切にうかがい知ることが出来ず、余計な不安妄想に駆られ、未だ私から逃げ続ける事をしなければならない状況です。

 

 そんな事では元妻の中の私の人物像は、より凶暴で冷酷な加害者として創造されていき、元妻はより被害者性を強め、回復からは遠ざかっていってしまうかもしれません。

 

 私を痛烈に批判するだけで、元妻本人が自己の被害者性と向き合うことが無いままでは、元妻の本当の回復は難しいように思います。

 

 

 

適切な支援を望むばかり

 

  私が学んだ中で感じるDVの本質は、「コントローラーのコントロール欲求」と、「コントロールを受ける側の依存体質」だと感じています。

 

 しかも加害性、被害性は、加害者、被害性両方の中に持ち合わせていて、一人の人間の中に加害被害の両者が複雑に入れ混じっているものなんだと理解しています。

 

 それは私自身の変化の過程からでも感じることができましたし、共に学ぶ他の方達からも同様に感じることが出来ました。

 

  問題の起きた2人がそれぞれの問題に向き合い、変化して行ければ良いのに、危険だからと不可能である強烈な分離しかしない現在の支援。

 

 一時的な分離や、そもそも強烈な分離が必要な場合もあることは理解しているので、一概に否定するつもりはありませんが、分離するならせめて、被害者加害者双方に適切な支援の機会を作り、真の回復に向けたアプローチをして頂きたいと思います。

 

 私は現在、奇跡的に繋がることの出来た数少ない適切な支援者に恵まれ、ほんの少しずつでも着実な変化を感じられる環境にあります。

 

 ですから元妻も、誰かのコントロールに依存するのではなく、自己決定し自己主張し自己責任を引き受ける、一人の独立した人格として生きる力や他者と関わる対人スキルを身につけてるための支援に繋がって欲しいと切に願います。

 

 

まだまだ先は長い

 

 元妻と娘が出て行って早1年半。

 

 その間に様々ありましたが、この問題は私自身が生涯をかけて学んでいく課題なんだなと感じました。

 

 前回の電話で少しばかり進展したことに喜んでいた私ですが、まだまだ道のりは長い、と言うのが私が今感じていることです。

 

 私自身も少しずつ支援をする側の学びを始め、出来る身近な問題から少しずつ人に寄り添い、変化のお手伝いをすることを始めています。

 

 その中で未だに苦しくなったりしんどくなることも多々ありますが、そうやって少しずつでも前進して行けたら良いなと感じています。

 

 さらにここ最近は、現在の支援の場の外にも学びの場を広げていき、私の出来る支援の形を模索していければと考えるようにもなってきました。

 

 いずれにせよ私はまだまだ葛藤の多い、無力な当事者でしかありません。

 

 これからも少しずつ、着実に力を付けて行ければと考えています。