最近思うこと。
前回の更新からずいぶん時間が経ってしまいました。
先日元妻からの電話があったので、少しずつ書き進めていたこの記事より先に、そのお話を上げてしまいましたので、色々前後することがあるかもしれません。
最近も相変わらずの充実した生活を送っている私ですが、ここ最近色々と考えたことがあったので書いてみようと思います。
仕事もプライベートも順調
現在の仕事は拘束時間が長く、休みが削られる事はしばしば。
母子で生活する苦悩
私はこれまで、自己の気付きや変化のために、自身のより内面に内面に意識が向いていることが多かったように感じます。
その甲斐もあってか、日々の生活を前向きに楽しく送れていたのですが、最近になって、自分に関わる周囲の人を含めた自身のあり方について考えるようになってきました。
そうやって考えをすすめるうちに、元妻や娘を始めとする母子が抱える葛藤や苦悩について思い至るようになりました。
そこで強く感じた事は、問題を抱えた母が母子で生活しながら抱えた困難を解決することは、単身の私よりもはるかに困難なのかもしれないと言うことです。
私が学びを続けさせて貰っている場には、もちろんDVの被害者とされた女性もおり、私の元妻と娘に歳が近い方がおられます。
私はそれに気付いたとき、とても残酷な事をしていたんだと、一度は自己を責める気持ちになってしまい、かなり落ち込みました。
ただ、見方を変えれば、その当時の私にはどうしようも出来ない事に心苦しめること無く、葛藤がより自己の内面に向かったことも、気付きを早めてくれた結果なんだと感じています。
もしかしたら自己が変化していく過程おいて、周囲の事や自分以外の者への配慮や思い至りがなるなる時期があるのかもしれません。
私は変化していく過程の中で、離婚は私が起こした問題であると感じながらも、「自分だけが起こした問題では無いのだから、自分ばかりを責めるのは辞めよう」という変化のために心がけていた意識が、その事実から目を背ける事に繋がっていたんだと思います。
このことは、先日妻から掛かってきた一方的な電話の内容でも、さらに気付かされました。
私を責める数々の言葉の中に、「相手からしたら、確かにそう捉えられても仕方が無いな。」なんて思うことが多々ありました。
でも1年以上ぶりに掛かってきた元妻の電話から、そんな元妻の心情に思いを寄せることが出来たことが嬉しくてたまりませんでした。
こうやって気付きを与えてくれた元妻に対して、あらためて心から感謝の気持ちを持つことができました。
元妻への働きかけ
先日妻から電話が掛かってきたのも、私から少し働きかけをしていたからだと思います。
恐らく、住んでいるであろう住所や連絡先はわかってしまっているんですが、もちろん私から訪ねることはしていません。
そんな私が現在出来ることと言えば、必要な連絡事項だけでも連絡をとれるようにして欲しいと、共通の友人を介してや、元妻の親族に働きかける事くらいでした。
正直、中々動いてくれない元妻の親族に動いて貰うようにかなり強いことも言ってしまった節はあります。
言ってみたら私自身がコントロールを利用してしまったことにはなりますが、意図した上で目的がはっきりとしたコントロールは必要なのかなとも思えています。
そうやって働きかけている私の最終的な目標は、未だ気付きを得られず葛藤を抱えているであろう元妻のケアをすることです。
それは決して元妻に未練があると言うことでは無く、元妻が抱えたその問題を娘に連鎖する事が無いようにしたいという思いからであり、娘が万が一葛藤を抱えるようなことがあれば、そこは私がしっかりとケアできるような存在になりたいからです。
電話の内容からは、未だ誰かにコントロールを受ける元妻が見え隠れし、子の福祉への理解の乏しさや、自己の価値観を子供に投影をしてしまっている節が感じられました。
道のりは長いのかもしれませんが、何かしらの手だてを考えてみようと思います。
いま、思うこと
これじゃあ何のための離婚だか全くわかりません。
何だか離婚で得をする誰かのために離婚したようで本当に不本意です。
私は未だに、支援のための支援を正義とする某団体に不満を持っていますし、それに関わる制度にも疑問を感じています。
だからこそ、離婚が意味のあったものになるように私が出来ることをしっかり前を見据えてやっていきたいと思っています。
私の学び
今月は私がケアを出来るようになるための学びをするため、3カ月に一度の京都へ行ってきました。
擬似的なグループワークのファシリテーターを体験させて貰えたりと、私の学びか着実に進んでいる事を感じることが出来て、たまらなく嬉しいです。
もちろん毎月の学びの場へも顔を出して、自己と向き合うことも続けています。
さらに最近の私の学びの場は、より実践の場へもステージを移しつつあり、職場やプライベートなどの生活の中でも、学んだ事を生かせている事を感じています。
最近になって、新しい職場の限られた人には、私のこれまでの経緯や現在の状況を語るような場面が出て来ました。
私は現在平社員ですから、関わる社員は、比較的若い年齢層の子が多く、その子達には私のこれまでの経緯は刺激的なようで、とても関心を持って聞いてくれます。
特に若い子達はそうなのですが、私が私を語ることで、相手もまた自己を語り、職場では一切出すことの無い一面を見せてくれたりするようになりました。
一見仕事とは関係の無いようなことですが、それが職場での信頼関係はより強固なものにしていることを感じています。
その上で、私が前向きに仕事に取り組む姿勢をみて、私に好感を持ってくれる若い世代が多いようです。
最近の上司の面談などでは若い社員が目標とする人として、同じ平社員の私の名前がよく上がって来ているようで、上司も困惑していました。笑
私がここで得た信頼関係は、この後私が責任を持つ身分になったときに確実に生きてくることを感じているので、そんな意味でも私のしていることは意味を持っているのだろうと思います。
そうやって、私がこれまで学んできた様々なことが実践の場で生かされて、私と関わる人が少しでも前向きになれて、更にそれが私の学びになり、私を確実に変化させているこの循環が、今はたまらなく嬉しいです。
自己を回復させるためには、決して失った家族で無ければいけない理由はないんだと、身をもって実感しました。
ただ、私の最終的な目的は、娘が抱えるであろう葛藤をケアすることには変わりないので、様々なことを多角的に挑戦していきたいです。