DV加害者がDVと自分に向き合うブログ

ある日突然DV加害者となったkuroが、DVと自分に向き合い感じたことを、当事者の立場から綴ります。

娘に会いたい




 今回は、突然子供を連れ去られた父親の立場で書いてみようと思います。

 実の娘と引き離された事により、私自身が抱えた葛藤や、子の福祉のために何が本当に必要なのか、また、私自身が父親の立場として何が出来るのか考えてみました。





会いたくて仕方が無い




 去年の3月に元妻と娘が家を出て行って以降、私は一度も娘に会えていません。

 いま、私自身の今の気持ちを率直に言えば、娘に会いたくて会いたくて仕方ないです。

 娘が2歳半の時に出て行かれて、間もなく4歳、もう1年半近く会っていません。

 妻子が出て行った後、私はその行方を知らないことになっていますから、方々から入る情報も、自ら確認することはしていません。



 「娘はしっかりご飯を食べることが出来ているのか?」

 「保育園にはしっかり行けているのか?」

 「元妻の新たなパートナーが居たとして、娘は肩身の狭い思いをしていないのか?」

 

 娘と元妻の生活が全くうかがい知れないことで余計な妄想まで追加され、更に不安を加速させます。



 「この先も一生娘に会えないかもしれない。」



 なんて、ふと仕事帰りの駅のホームで考えてしまうと、胸が締め付けられるように苦しくなって、気が狂いそうになるほどです。



 けれど、私は娘に会うために調停を申し立てたり、子供に会わせろと無理に詰め寄るつもりはありません。

 それは、子供にとって何が一番大切か、それを知ることが出来たからです。







私はDV加害者




 私は確かに元妻にDVをしていました。

 そして、元妻に激怒する姿を娘に見せたことは、娘に対する立派なDVです。

 当時は、娘のその気持ちに寄ることは出来ませんでした。

 今、様々なことに気づき、学ぶことが出来てようやっと、娘がどんなに心締め付けられて苦しい思いをしていたか、どれだけ悲しい思いをしたか思い至れるようになりました。

 娘の気持ちを考えるだけで本当に申し訳なく、胸が締め付けられるように痛いです。

 しかし、私が子供に申し訳なく思うこの気持ちと、娘に会いたいと感じるこの気持ちは、あくまで私の気持ちでしかありません。

 また、「DV加害者なんだから、子供に会うなんて許されるわけが無い。」なんて考えや、「離婚したんだから、親権の無い片親は会うべきでは無い。」なんて考え方も、大人の勝手な考えや価値観でしかありません。

 この親や周囲の大人達の身勝手な思考や価値観が、子供の権利を著しく奪ってしまっているんです。





親の気持ちと子の権利




 では子供にとって何が一番大切なのか。

 その正解は、夫がDVだからと言って、永遠に子供を連れ去れば良いって事ではありませんし、子供に会わせろと面会交流の権利のために調停を申し立てて争うことでもありません。

 結論から言うと、子供にとって一番大切なのは、両親がDVや離婚による葛藤を一日も早く消化して、子供が自由に両親の間を行き来できることです。

 親に限らずですが、子供は限られた大人としか接することの無い閉鎖的な人間関係の中で育つのでは無く、多様な大人の人格モデルの中で、自己を否定されること無く育つことが一番大切なんです。

 しかし、これは本当に難しい問題です。



 まず、子供が両親の間を自由に行き来できるようになるためには、両親共に葛藤を終わらせ、ある程度変化する事がとても大切です。

 私のように絶望の淵に1人で立たされたような状況《実際はそんな事無く、周囲の人々は皆優しく手をさしのべてくれ、支えてくれる幸せな状況だったのだが、当時はそう思えなかった。》に追い込またうえに、気付くきっかけが無ければ根底からの変化は難しいと思います。

 私も多分に漏れず、未だ変化出来ずに葛藤が続く大人です。

 さらに以前の記事に書いたように、母子で居るからこその変化の難しさもあると思います。



 親と子の面会交流や、養育費の受け取りは、子供の立派な権利です。

 だからといってそれを守るために親が辛さや苦しみを感じて葛藤していては、子供にとって意味が無いどころか、むしろ逆効果になってしまいます。

 子供には何ら責任の無い両親の間の葛藤に子供が巻き込まれているこの現実にしっかりと向きあい、巻き込まれてしまった子供にとって今何が出来るか真に考えて欲しい。

 子供が親に会う権利を奪う事がどれだけ子の成長や心理に影響するかを理解して欲しい。



 なんて、一緒に暮らしてるときは、子育ては妻がするもんだなんて役割依存の最たる所の思考をしていた私が、今は娘に会いたくて仕方がなくて、今さらこんな事考えてるなんて、子供からしてみたらとんでもなく自分勝手な思考だなぁと思います。

 人って本当に、失ってから気づくことが多いんですよね。。。






今、自分に何が出来るか




 それを踏まえた上で、今の自分に出来ない事を悲観するのでは無く、今、自分に何が出来るかを考えました。

 その結果、今の自分に出来ることは、娘に会うために調停を申し立てたり、元妻に無理にコンタクトを取ろうとする事では無く、こちらは気に掛けている事を意思表示しつつも、こちらからはアプローチをしないと言うことでした。

 これは娘と共に暮らして居るであろう元妻に対する配慮です。

 元妻の葛藤を増幅させては娘にとって逆効果にしかなりませんし、正直、今の私も未だ葛藤を抱えた父親であることには変わりありません。

 

 それでは具体的に私は何が出来るのか。

 その答えに迷っていた時、私が学んでいる場でお世話になっている先輩方が教えて下さいました。

 



ささやかな気持ちの表現




 それは、毎月の養育費の他に、元妻や娘の誕生日、クリスマスなどの日に、いくらでも構わないからお金を振り込むことです。

 私は職を変えたため、現在収入が前職の半額ほどになっています。

 そのため調停で定められた養育費の半分だけ支払うことにしてもらいました。

 しばらくこの先の見通しが立たない状況であるため、それでも生活は厳しいです。

 だから、妻や娘の記念日に、3000円でも、5000円でも良いから毎回忘れずに振り込む。

 なんなら振り込み人名義をオメデトウの文字に変えても良い。

 それだけで気に掛けていることは充分伝わるし、未だ葛藤を抱えた元妻も余計な葛藤を増やしてしまうことは無いはずです。

 いつか元妻の態度か軟化して、娘に会わせて貰うことが葛藤にならない日まで、自分な出来ることはこれなんだと思いました。

 他人と過去は変えることは出来ないです。

 変えることが出来るのは自分と未来だけです。

 どこかで聞いたようなセリフですが、自己の中で過去の意味合いを塗り替えていき、この先の未来を自分の力で変えていくその意志が、自己の変化に繋がっていくんだと思います。

 いつか娘に会える日まで、私は自己と向き合い、変化し続けていこうと思います。