私の現状
先日は元妻の現状について知れた限りのことや、今後の私がしたいことについて書いてみましたが、今回は最近の私について書いてみようと思います。
私自身の力が、ある程度付いたからかどうか解りませんが、最近は、身近な人からの相談事の内容が重くなってきて、さらに相手が私をコントロールをしようとしてくる事が多くなりました。
今回は、最近私が体験した素晴らしい出来事や、それをきっかけにまたしんどくなってしまったり、自己と向き合う重要性を再認識した事を書いてみます。
相談に乗ることが多くなる
ここ最近の私は、身近な人の問題に寄り添うことが多くなっていました。
と、言うのも、ここ最近の私は、自身が抱えている葛藤や、それによって起きてしまった問題について、出来るだけ隠さずに居ようと努めていました。
そうやって私自身が自己開示をした結果、身近な人が私に当事者性の自己開示をしてくれる結果となっていたんだと思います。
私自身も、そのように相談をして貰えることで、新たな気付きや学びの機会が増え、更に力を付けるためにもなります。
ですから、相談をしてくれた方には本当に感謝しています。
相談や自己開示を受ける度に、これほどまでに多くの人がしんどさを抱えながら生きているのかと驚きました。
そうやって皆何かを抱えて生きているんだと感じる中で、私が力になれる人、なれない人が居ることに気がつきました。
私が力になれない人
そうやって日々を過ごす中で、私が寄り添い、力になろうとすることを拒み、逆に攻撃しようとしてくる人も居ることに気がつきました。
これは私の推察でしかありませんが、私の力不足から、信頼を得ることが出来なかったり、安心感を持って貰うことが出来なかった事が原因にあると思います。
また、その人自身がその事実を受け止める力が無いことから、私が伝えた事などを受け入れることが出来ず、自己防衛のための反発心をあおってしまった、等の理由があるんだと思います。
私自身も、加害者であることを完全に突きつけられ、もうどうしようもなくなった、と底打ちするような体験をしたからこそ、こうやって他の価値観を取り入れ、変化していく事を選択出来ましたが、それ以前の私ならきっと、そんな人と同様に私のような者を確実に拒み、攻撃していたと思います。
いずれにせよ、何も求めない人に対して私が出来ることはありません。
それでもしんどい思いをしている人には、何かのきっかけで気付き、楽に生きるためのほんの少しの変化が出来れば良いのになと感じています。
また、私自身もそうやった経験の中で、自身のスキルの不足や、今後の課題が見えてきたりと、大きな学びになりました。
もっともっと力を付けて、私の周囲に居る全ての人が楽に生きていける環境を、少しでも作っていければ良いなと思えるようになりました。
相談に乗れる怖さと喜び
相談事が増える事は、私自身の力がついていく証拠でもあるし、その内容も、やはり力が付くに応じた相談事の内容になっていくものらしいです。
そのためか、相談の内容が、段々と重く、難しくなっていきました。
さらに相手との距離が近くなっていき、より深い信頼関係が結べていると喜びに感じる一方、相手との距離が近くなれば近くなるほど、相手が私をコントロールをしようとしてくる場面に出くわすことが多くなりました。
また、私も、知らず知らずのうちに相手をコントロールしていた側面があったかもしれません。
一歩間違えれば取り返しの付かないところまで突き進んでしまう恐怖を感じる事もありました。
さらに、私の心と体が万全ならば何とか対応できる状況でも、仕事での疲労がたまっているときや、体調が良くないとき、更に時間的制約などがあるときに満足な対応が出来ずに私自身がしんどくなることも増えてきてしまいました。
それでも、そうなることなく身近な人の抱えた葛藤に寄り添うことが出来て、更に自己の学びになることはとても嬉しいです。
私がこんな事を自ら行っているのも、いずれは、問題を抱えている元妻や、問題を抱えるであろう娘にケアが出来るだけの力を付けたいとの想いからです。
あるいは、そうすることで自己の正当性を主張したいとか、そうする事による周囲からの評価を期待している側面もあるかもしれません。
それでも、私の身近に居るしんどい人が少しでも楽に変われるのは悪いことでは無いと感じています。
ですから、少ししんどさを感じつつも、それを超える喜びや感動があるからこそ、相談に乗ることを辞めていないんだと思います。
これからも、こうやって身近な人達の相談に乗ることで、自分自身の見つめ直しや学びにさせて頂こうと思っています。
あるイベントでの感動
先日、某男女平等じゃない参画のとあるイベントに参加しました。
私がお世話になっている方のワークショップに参加するために足を運んだのですが、それ以外にも、DVの被害者支援についてお題目を掲げた団体がワークショップをしていたため、これにも参加してみることにしました。
加害者とされた、共に学ぶ方々数人で参加したのですが、行政によくある、女性の被害者支援だけを掲げる団体のワークショップだったため、どんな事が語られて、行われるのか期待を高めて参加しました。
しかしそのワークショップの前半に行われたことは、これまでの活動功績を発表するような、当たり障りも無い活動報告会でした。
しかもその団体は、被害者支援者になるために興味を持って貰えるようなセミナーを年1回ほど開催しているだけで、実際の当事者支援は、被害者支援も含めて何一つしたことが無いような団体であることを知って、正直なところ、残念な気持ちになっていました。
後半になって間が持たなくなったのか、参加者一人一人に自己紹介と質問を求めてきたので、参加者からどんな質問があるかと聞いていたところ、やはり現場の実態を知りたくて来ている方が多いようで、前半の活動報告会にはご不満な様子でした。
さらに自己紹介を聞いていると、周囲の方々は行政の方やそれに関わる民間団体の方達ばかり。
もちろん加害者支援なんてものはほぼ存在しないも同然ですから、加害者は危険だ、との言説を信じて疑わない、加害者に触れたことも見たことも無い人達ばかりと言うわけです。
そんな中私達の自己紹介の順番がまわってきた際、私達が加害者であることを自己開示した瞬間に、その会場の空気が変わった事を感じました。
明らかに異質な者が紛れ込んでいると見られているような空気。
さらに、その後自己紹介の順番がまわって来た方の中に、「わたし実は被害者で。。」と申し出る方もいらっしゃり、「フラッシュバックが。。。」なんて言い出す状況に。
あの居心地の悪さは被害者、加害者とされた双方もそうですし、その場に居た皆さんが感じていたことでしょう。
相互理解が進めばそんな事はあり得ないのに、加害者だ、被害者だとラベルを貼り付ける事だけをしている現状があるからこそ、あのような事が起きてしまうのでしょう。
会場は一気に重い空気が流れ、ここでもし被害者の方の加害者性が顔を出して、加害者とされた私達を攻撃してくるような状況にでもなれば、場は一気に壊れてしまいます。
しかもワークショップを開いている方達は支援の経験が無い人達ばかり。
強いて言うならば、被害者、加害者双方に理解があり、その場を何とか収めるスキルを持ち合わせているのは、ピヨピヨの私達だけ。
誰も場を納めるスキルを誰も持ち合わせていない状況であの空気は本当に焦りましたし、怖かったです。
だからといってここて場が壊れてしまっては相互理解を深めたいとの想いから遠ざかってしまう。
加害者とされた者が、実際の支援の現場で働く人達に働きかけ、相互理解を深めるためには、ここでもやはり自己開示しか無いと、少しだけ勇気を振り絞って、私がこれまで経験した事や学んだことを積極的に発言させて貰いました。
・元妻と娘にに出て行かれて途方に暮れていた際、被害者支援の現場に助けを求めた時、「男性の加害者であるあなたの相談には乗れません。」と突き放されたこと。
・私が加害者とされた事は、幼少期に親から暴力を受けた経験が影響している事に気づいたが、その事実は、問題が表面化して気付き、変化をするまで認めることが出来なかったこと。
・現状の支援では元妻は必要も無いのに未だに逃げ回り、必要の無い引越しなどを繰り返していること。
私が前職で経験したDV支援の内部事情や、支援の現状は、当事者の本当の回復には繋がっていないこと。
多分そんな事を話していたと思います。
実は結構緊張していて何を喋ったかあんまり覚えていません。笑
でも、自分が発言した内容で場の空気が変わった事は感じ取れました。
その証拠に、ワークショップ終了後、実は被害者でと言っていた女性の方に握手を求められ、加害者とされた人の気持ちに触れることが出来てとても良かった、感動したと言って頂きました。
その他の方にも代わる代わる話しかけられ、握手を求められました。
何だか恥ずかしくてたまらなくて、その場は満足いく対応が出来なかったように思います。
あの場で私が感じた感動は、奇跡と呼んでも良いような、何とも言えない、とても嬉しいものでした。
けれど、その感動が、自分をしんどくさせる結果になってしまったんです。
奇跡をきっかけにしんどくなる
私は、前日のイベントで経験した奇跡体験により、簡単に言うと調子に乗ってしまったんだと思います。
力も無いくせに、変に自信がついたからか、受ける相談がさらに重くなってしまい、相談者からの依存を受ける状況を許してしまいました。
その結果、より要求が強くなる相談者の期待に応えなければ、相談者にとってより良い支援者になるべきだ、との思いが強くなって、かなりしんどい状況になったりもしました。
~しなければ。
~するべき。
この2つの言葉ほど苦しいものはありません。
そうやってかなりしんどくなっている私に、更なる追い打ちが襲ってきました。
追い打ちをかけるように悪化する群発頭痛
私は元々群発頭痛もちです。
群発頭痛と、偏頭痛と違い強烈な痛みが特徴のこの頭痛ですが、かれこれ10年くらいの付き合いです。
とはいっても、これまでは比較的軽い症状だったようで、群発期が来ても数回、発作を耐えれば終わってしまうような状況でした。
今回やってきた群発頭痛も、これまでと同様、大したことは無いのだろうと軽く見ていたのですが、今回は違いました。
昼夜を問わず1日に何度もやってくる激痛の発作は、仕事中でも就寝中でもお構いなし。
就寝中では、突然やってくる激痛のあまり飛び起きてしまうほどでした。
しんどくなっている状況に、さらに追い討ちをかけるようなこの群発頭痛で、睡眠時間や体力が削られ、本当に参ってしまいました。
そこで得た新たな気付き
そんな追い込まれた状況になれば、やはり見えてくるのが自分自身の問題です。
薄々気付いていながらも、どこかでだれかのせいにして、自己と向き合うことから離れていた事実に、真正面から気付かされました。
気づいたことで、また自己と向き合う時間がやってくる。
今まで蓋をしていたり、気付きながらも放置していた問題を真に終わらせるために自己と向き合う。
この時間が本当にしんどくてしんどくてたまりません。
それでも自己と向き合い、変化できたときの喜びは本当に大きいですし、少しでも変化できた実感が自信にも繋がります。
最近の私は、誰かの相談に乗ることで自分が価値のある人間だと思われたいと、周囲の人の価値観に依存したり、新たな職場での社会的価値観に依存して、徐々に染まっていっていたように感じます。
それは職場の同僚達からも気づかせて貰いました。
私よりも10歳近く若い同僚達の成長のスピードはとても早く、とても柔軟な考えを持っています。
そんな同僚達と関わることで、新たな気付きをたくさん貰えます。
まだまだ未完全な私にとって、同僚との関わりは、とても大切でありがたい貴重な経験になっています。
3歩進んで2歩下がる
最近の私は、変化のスピードを上げて、飛躍しているように感じていました。
しかしそれは調子に乗った勘違いでしかなく、実は大切な根幹の部分を置き去りにしていたんだと思います。
そもそも、自分自身の行いに、自己の変化が追いついていなければ、ただ無理に背伸びをしているだけですから、それでは全く意味が無い事です。
それでも、私は少しずつでも変化してきていることは自分でも体感できているし、周囲の方からもそのように言って貰えています。
まさに「3歩進んで2歩下がる」ように、小さな軌道修正を繰り返しながら、少しずつ変消していくんだなと実感しました。
そのためにも学ぶことをしっかりと続けて、これからも変化し続けていこうと思います。
共に学んでくれる人が居る心強さ
そんな時に共に学ぶ仲間がいて、集まる場所がある安心感は、やはり私にとってとても大きい事です。
何か問題が起きそうならば、相談できる安心感が、人との関わりを、恐れることなく積極的にさせてくれます。
そんな場に居られることが、とても有難いです。
これからもその場を大切に、しっかり学んでいきたいと思っています。
自然と見つかる解決策
そんな最近のしんどい状況も、自分が壊れない程度に向き合うことを辞めなければ、必ず楽になる糸口は見つかりますし、誰かが助けてくれるものです。
さらに時間と共に自然と解決することや、自分以外の誰かの力によって、自分は何もしなくても気づけば解決している事もたくさんあります。
しんどいときは肩の力を抜いて、余計な葛藤を遠ざける。
そんな事も重要な気がしています。
したたかに、楽しく生きる
ある程度のしたたかさを持ってうまく順応することが、うまく周りと調和して生きていくことなんだと、最近感じるようになりました。
自分の気持ちを大切に、自分が潰れることなく楽しく生きることが、周囲の人の笑顔や前向きな気持ちに繋がっていく事を実感して、いま、とても充足した気持ちになっています。
確かにしんどいことはありますし、色んな問題は山積みですが、少しずつ前に進んでいる実感が嬉しくてたまらないです。
そんな毎日を幸せに感じられる気持ちがあれば、きっと更なる幸せがやって来ると確信しています。
長く書いてみましたが。。。
今回は最近のことをだらだらと書いてみましたが、読み返すと自分でも読みにくくてしょうがないです。笑
前回の更新後からちょこちょこ書いていたんですが、書く度に新しいことが起きていて、記事がどんどん長くなっていくスパイラルにハマってしまっていました。笑
いつか伝えたいことをまとめるとして、とりあえずアップしますので、ご容赦下さい。笑